2012年 06月 12日
物語と出会いました。 |
先日、ツイッターで、フォロワーさんに、「服部まゆみ」という作家について教えていただいた。
最初に読んだのは『シメール』、その後、別の方から『一八八八切り裂きジャック』を勧めて頂き、『この闇と光』も読んだ。
『シメール』『この闇と光』の二作は、美へ向かう物語。美を解するものだけが、理解し合う世界。
美と醜。この二つの概念で全てが区切られ、美を理解する=偉ばれたもの。醜いものはそれだけで、俗物である。
どちらの物語も、大人の男性と、無垢ではあるが美へ向かって開かれた目を持つこどもの交流の物語。
ある一種の感性を持つものが読んだ時、「こんな保護者がいれば…」と夢想したその「保護者」と「わたし」の物語として受け取られるであろう。
美しいことと醜いこと、芸術と俗物、わかりやすい区切りでわけ、美に託して語られるのは、「世界の共通言語ではなく、限られた一部で交わされる秘密の共通言語と出会う」ということ。秘め事。
もしかしたら、と思う人にこの本をそっと差し出す。「こんな本が読みたかったの」と感想を語り合える。
近しい世界を持つ人を探す、ペンデュラムのよう。
同じ服部まゆみの『一八八八切り裂きジャック』はまたすこし趣が異なる。
前の二冊と比較するなら、こちらは言語を発見する喜びについて、という風だけれど、それだけではない。
この本を読み終えた時、私は「感想」が思い浮かばなかった。
何も考えられない。それは今も同じ。ただ、ロンドンの霧がある。霧があって…そこに、青年が二人、立っている。
ただ、それだけ。
読み終えた直後の茫然自失状態が、その本のことを思い出すと、また、同じように繰り返される。
霧。ただそれだけ。
何から語ればいいかがわからず、奪われた言葉の片鱗すらつかめない。
ただ、夢中で読みました、夢中で読んで、読んでいる間ずっと、霧の中にいました。そういう他ない。
空気、匂い、踏んだことのない土地、生きているはずのない時代。そこに放り出され、立ち尽くすばかり。
同じ作家の本をほとんど間を開けずに三冊読むのは、本当に久しぶりのことだが、探していた物語に私はまた一つであった。
この物語との出会いをくれた方に、何度も何度も、ありがとうといいたい。
最初に読んだのは『シメール』、その後、別の方から『一八八八切り裂きジャック』を勧めて頂き、『この闇と光』も読んだ。
『シメール』『この闇と光』の二作は、美へ向かう物語。美を解するものだけが、理解し合う世界。
美と醜。この二つの概念で全てが区切られ、美を理解する=偉ばれたもの。醜いものはそれだけで、俗物である。
どちらの物語も、大人の男性と、無垢ではあるが美へ向かって開かれた目を持つこどもの交流の物語。
ある一種の感性を持つものが読んだ時、「こんな保護者がいれば…」と夢想したその「保護者」と「わたし」の物語として受け取られるであろう。
美しいことと醜いこと、芸術と俗物、わかりやすい区切りでわけ、美に託して語られるのは、「世界の共通言語ではなく、限られた一部で交わされる秘密の共通言語と出会う」ということ。秘め事。
もしかしたら、と思う人にこの本をそっと差し出す。「こんな本が読みたかったの」と感想を語り合える。
近しい世界を持つ人を探す、ペンデュラムのよう。
同じ服部まゆみの『一八八八切り裂きジャック』はまたすこし趣が異なる。
前の二冊と比較するなら、こちらは言語を発見する喜びについて、という風だけれど、それだけではない。
この本を読み終えた時、私は「感想」が思い浮かばなかった。
何も考えられない。それは今も同じ。ただ、ロンドンの霧がある。霧があって…そこに、青年が二人、立っている。
ただ、それだけ。
読み終えた直後の茫然自失状態が、その本のことを思い出すと、また、同じように繰り返される。
霧。ただそれだけ。
何から語ればいいかがわからず、奪われた言葉の片鱗すらつかめない。
ただ、夢中で読みました、夢中で読んで、読んでいる間ずっと、霧の中にいました。そういう他ない。
空気、匂い、踏んだことのない土地、生きているはずのない時代。そこに放り出され、立ち尽くすばかり。
同じ作家の本をほとんど間を開けずに三冊読むのは、本当に久しぶりのことだが、探していた物語に私はまた一つであった。
この物語との出会いをくれた方に、何度も何度も、ありがとうといいたい。
by akinosakura180
| 2012-06-12 17:57
| 読書